再雇用拒否当時の中神校長と豊島区教委成田室長の態度

中神校長は当時、「私は何も分からない」と言いながら、次のような言葉を述べていました。
「不採用など予想だにしなかった。私も区に何故だと聞いた。」
「個人的には、意見の違いがあっても、そのことでどうこうするなど、考えていないことは分かって貰いたい。」
「推薦書に不利益なことは書いていない。書く欄が小さいのでこまごましたことは書けない。」
「長年教育に携わってこられた田畑先生に頭の下がる思いです。今回の措置は都教委の判断で行われた。」
「校長は弱い立場なので都教委に問うことはできない。中野富士見中の校長もクビになりました。」

 豊島区教委の成田秀和指導室長は、都教組豊島支部支部長に、「田畑先生に会っても貝のように蓋を閉じて絶対に喋らない」と言って私に会うのを拒絶、支部長にこう言ったそうです。
「私の責任でやりました。田畑先生は教師としてふさわしくないというのではない。遠慮してほしい。」
「よくやったという声もある。」
「伝家の宝刀を抜いた。」

 区教委では、私の不採用は一回で決まらず二回の会議を開いたということも耳に入りました。

 ここで追い詰められなかったのが本当に悔やまれます。裁判になると一転、私・田畑を前代未聞の不良教師でその上意欲がなく、健康上の問題もある、とウソ八百を並べたのです。

 では又あした。さよなら。