中神嘉治校長のデッチアゲ理由のご紹介―その2 [補教を拒否・成田秀和の証言]

 五日目にしてブログを休んでしまった。考えることが多すぎて疲れ、少し横になったらそのまま寝込んでしまい、目が開いたのは翌日でした。ダラシノナイコトデス。
 深夜。犬の鳴き声、チ、チ、チ、と虫の声が聞こえてきます。虫の音は、清少納言を思い出させます。

 さて今日は、校長のウソが露呈した補教の件をお伝えしましょう。
 この裁判では、被告都教委はまず豊島区教委成田指導室長の陳述を提出、不採用の具体的事実を主張しました。これもそこに記載してありました。

【服務、規律に違反し上司の指示に従わなかった事実
 教頭は、田畑教諭に副担任として、学級担任が出張や年休で不在の時、朝の学級活動やロング(50分)の学級活動の指導、道徳の時間の指導をすることを指示しました。しかし、同教諭は、副担任には副担任の仕事があって忙しいといってこれを拒否し、行いませんでした。(抜粋)】

 これには呆れた。言うに事欠いて、と思った。私は、補教(不在教師の代わりに教室で指導すること)をしっかりやることは、職場でみんなが休暇を取りやすくする上からも重要だという考えを持っていたので、その主義からいっても断ったことは一回もない。第一、教頭はそんな指示を出すことはない。これはどこの学校でも同じだろう。朝と帰りの学活に副担が行くのは自動的に決まっている。一応朝の学年打ち合わせで確認はするが。

 私は、この証拠には生徒出席簿が最適と考え、豊島区に「豊島区行政情報公開条例」による情報開示を求めた。出席簿は、授業者が出席をとり自分の名前を記入する公簿である。これが出れば大丈夫!
 ところが、区教委は、「中神校長に聞いているから待ってほしい。」と開示日の遅れを連絡してきたが、結局開示を拒否した。「プライバシーに係わる」というのだ。そして、私の異議申し立ても他区の住人だから、と認めなかった。これは条例違反である。
 私は、開示を保護者の方にお願いした。今度は、生徒のプライバシーに触れぬよう「生徒名削除」を条件としたがやはり開示拒否でだった。「異議申し立て」は受け付けたが、区教委は開示しなかった。三回目、知人が請求した。同じ結果だったので東京地裁に裁判を起こしてくれた。
 このようにして、私はやっと生徒出席簿を入手しました。そこには、1年間に43回教室へ赴いた記録が残っていまし
た。豊島区・豊島区教委は自らのミスを隠すためには、どんなこともやるのです。

さて、この出席簿は成田指導室長尋問の際、弾劾証拠として提出しました。やりとりは以下の通り。

代理人「あなたは陳述書の中で、学級担任が不在の時副担任が指導することが職務だというふうに書いてあって、田畑さ    んがやらなかったとお書きになっているんですが、そういう情報もあったんですか。」
成田 「そうでございます。」
代理人「これも校長からですか。」
成田 「はい、校長などでございます。」
      ここで 生徒出席簿を示す
代理人「……『田畑』という記載がありますね。これは田畑さんが本来の担任に代わって行ったということの表示という    ことは分かりますね」。
成田 「はい。」
代理人「こういう公簿でもって、本当に補教に行っていないのかどうか確認されるということはなかったんですね。」
成田 「はい、ございませんでした。」
代理人「(一年間に合計43回という)こういう数字が出ていても、補教に行っていないという情報は正確であったと考え    ますか。」
成田 「個別の、何回出たということの情報は、私どもは掴んでおりません。」
代理人「この陳述書では、補教には行かなかったと断定的に書いてあるじゃありませんか。あなたの情報は行かなかった    という情報として得ていたわけでしょう。そうですね。」
成田 「はい。」
代理人「公簿をちょっと見れば分かることですね。」
成田 「出た出ないについての判断は、私は情報を持っておりません。」
代理人「あなたはこういう内申(注;田畑を不採用にする)をするに当たって、副担任の仕事をしていないということを、情    報の一つ、重要な判断素材として採用すべきでないという判断をなさったわけですよね。そして、都に内申をし    た。電話での問い合わせに対して出居課長(注;東京都教育庁人事部選考課長)にもそれを伝えた。それをもとに東    京都教育委員会は判断しているわけでしょう。そうすると補教に行かないというのをあなたは断定的に書いて、    それも具申の内容に入っているんでしょう。
成田 「はい。」
代理人「そうすると、それは違うんじゃないんですか。」
裁判長「この人は、事実が真実かどうか検討していないんでしょう。」
代理人「あなたの判断として補教に行くこともしなかったという判断を持っていたことは事実でしょう。」
成田 「はい。」
代理人「だけれども、それについて真偽を確認することもしなかったし、いまこういうふうに(出席簿を)見せられて事実    が違うということも当時は知らなかったと、こういういうことですね。」
裁判長「あなたは、陳述書でいろいろ田畑先生の方に問題があるというふうに書かれていますが、こういった情報は校長    なり教頭なりあるいは他の教諭の方からいろんな機会にあなたの方が得られたとこういうことでいいですね。」
成田 「そうでございます。」
裁判長「こういった情報が、客観的に見て事実に合致するかどうかということについて、あなたのほうで、こういった情    報を得られた後に、個別に検討したということはないということでいいんですね。」
成田 「そうでございます。」
裁判長「だけれども、あなたは、こういった情報について、特段疑問点というかそれは事実と違うというふうには受け取   られなかったから、寄せられた情報は真実だという前提で面接にも臨んだし、都教委の方にも電話で回答したと、   こういうことでいいんですかね。」
成田 「はい。」、
  
 ★ 以上のように成田室長は、校長、教頭、他の教員らからの情報は、間違っていたと認めました。また、成田は教務主任や生活指導主任が情報を寄せたと証言しましたが、真偽は分かりません。しかし、裁判官は真に受けて判決文に記載しました。同じ情報が彼らからあったと。それなら同僚が捏造、つまり私の不採用に一役買ったことになります。なぜなら、これがウソだと一番分かているのは、同学年で机を並べ、学年の生徒のことを語り合い一緒にさまざまな取り組みを進める関係にあったからです。生活指導主任のクラスは私が副担任でした。
 これを仕組んだのは、中神校長と成田指導室長であった、両者は役割分担をして活動した、と私は思います。

しかし、こんなに苦労して証拠を手に入れ、ウソを明らかにしても、裁判では私には有利に働きませんでした。おかしなものです。裁判所というところは行政を勝たせるためにあるところです。今の日本のありさまは、裁判所の腐敗によるところが大きいのではないでしょうか。
 この裁判官は、民事19部山口幸雄で、福岡さんの「ピアノ不伴奏裁判」で「君が代」事件に初めての判決を出した人です。