昨日見つけた家永教科書訴訟最高裁判決の記事の中に、大野裁判長の次の言葉が載っていました。
「教科書にウソ書く国はつぶれます。」
「我が国が近現代において近隣諸国の民衆に与えた被害を教科書に記述することは、自国の歴史をはずかしめるものでは決してない」
教科書検定には違法が含まれるという判決が出ても、文部省は反省せず、偏った教科書検定を進め、日本の子ども達の多くは真実を知らされていません。 正しい歴史認識を学校現場から排除するこの国は、つぶれかかっているのではないでしょうか。

中神嘉治校長はそのお先棒を担ぎ、文化祭で生徒が作成した掲示物「南京大虐殺」を「偏っている」
と決めつけました。そして指導教諭に「教師には事実を事実として教える自由はない」と明言したのです。お上のいうとおり授業しろというわけです。これでは戦時中「天皇のために死ね。」と教えた教育と同じではありませんか。
 戦後の教育は、軍国主義教育の反省の上に成り立っています。教師達も「教え子を戦場へ送るな」が合い言葉でした。
 けれど、現在、家永訴訟で示された貴重な道標は忘れ去られようとしています。
 中神校長は指導教諭に自分の作った断り書き(生徒作品を否定)を生徒作品の傍らに掲示するよう指示しましたが、教諭は拒否しました。
すると校長は他の教諭に命じて掲示させました。

中神校長は文化祭の前々日に、仕上がった展示物を見て回り、この作品を見て「大変だ」と「思ったようです。中神が気に入らなかったのは「日本がもみ消そうとしたこと」として教科書検定に触れた部分で、中神はこれを豊島区教委成田指導室長に文書で報告しています。問題にならないことを大問題にし、教師を呼びつけ、掲示を迫る。こんな事は普通の常識があればできないことです。生徒には、学習する権利や意見表明権もあります。人権無視も甚だしい。中神は、校長というものは校内のことは全部独断で決めてよい、自分の思うとおりにするのが当然だ、と考えています。
裁判で分かったのですが、中神は私が生徒から集めたノートを無断で見ていました。授業の進み具合や生徒のつまづきや私の思想をチェックするためだそうです。ノートは田畑の私物ではなく学校が 、