村木厚子元局長無罪判決と、自分を重ねあわせて

 9月10日、大阪地裁は厚労省文書偽造事件で村木被告(54)に無罪の判決を言い渡した。テレビに映し出された彼女の笑顔を見て本当によかったと思いながら、私の方は「冤罪」がいつまでも晴れぬのに寂しさを感じ、羨ましくも思った。村木さんは若い。現場復帰してまだまだ仕事ができる。その点もチョッピリ羨ましい。

 村木さんが逮捕されて周囲の人達は「彼女が絶対にそんなことをするはずはない」と支援に立ち上がったという。公判の日、傍聴席には、江川紹子さんら名のある女性達が顔を揃えたそうである。それが裁判所への圧力になったかどうかは分からないが、緊張ぐらいはしただろう。
 それにしてもどうしてこんなことになったのか。「筋書きを考えて捜査し証拠を集める」というのが検察のやり方で、強引に突っ走って破綻が来たということだが、もしうまくいっていたらと思うと本当に恐ろしい。

 そして私の場合、校長や教育委員会の考えた筋書きを、裁判所がスッカリ受け入れたところに間違いがあるのだ。刑事事件でもなく、逮捕もされていない、ホンのちっぽけな事件かも知れないが、当人にとっては職と名誉を奪われ、精神的・経済的に打撃を受け、15年もこの闘いのために費やしている、まさに人生を大きく狂わせられた事件である。

 中神嘉治校長のデッチアゲ理由についてはことごとくキッチリ証拠に基づいて反論したのに裁判官はそれを無視した、同僚や教え子らの証人申請は全部却下した、都教委や豊島区教委の不法行為が明らかになっても取り上げない、被告側は一人の証人も、一枚の証拠も出せないのにそちらを信用する、挙げ句の果てに裁判官が被告に有利な証拠を作る。
 こうして私は敗訴させられた。最高裁までやったが同じだった。裁判所がデッチアゲを見破らず、こんなおかしい訴訟指揮をするとは誰も信じないかも知れないが、これは真実である。だから、私は「冤罪」を晴らすまで闘わざるを得ないのだ。

 人間の価値は誰もが等しい。一介の女教師だからと軽く扱って貰いたくない。「虫けらのように扱うな!」と私は大きく叫びたい。