映画「私を生きる」への疑問 その②ー真実をないがしろにしていいのかー

土井監督は上映に際し以下のように述べています。(抜粋)

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【映画「“私”を生きる」とは】

東京都の教育現場で、急激に“右傾化”が進んでいる。卒業式・入学式で「日の丸
君が代」が強制され、教師たちの言論は、厳しく統制されてきた。
その「教育の統制」の巨大な流れに独り毅然と抗い、“教育現場での自由と民主主
義”を守るため、弾圧と闘いながら、“私”を貫く教師たちがいる。
 これは「教育」問題や「日の丸・君が代」問題を論じるドキュメンタリーではな
い。
日本社会の“右傾化”“戦前への回帰”に抵抗し、“自分が自分であり続ける”た
めに、凛として闘う、3人の教師たちの“生き様”の記録である。
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私は「「教育問題」や「『の丸・君が代』を論じるドキュメンタリーではない。」
というところに監督の「逃げ」を感じます。私が一昨年試験的に上映された会場で、「土肥校長が、都教委の言うとおり「日の君」強制の職務命令を発出し、従わなかった一人の教員を事故報告書を上げたことによって懲戒処分させた」と発言したとき、監督はこれをご存じありませんでした。会場に驚きと戸惑いの空気が流れ、「本当ですか?」という声も聞こえました。
土井監督が十分時間があったにもかかわらず何の修正もせず、そのまま上映したことに驚いています。監督は、土肥校長についてどんな調査をしたのでしょうか。ドキュメンタリーである以上、真実を伝えねばならないでしょう。「日の君」を強制して教員の弾圧に加わり、職員会議の採決禁止に異を唱えながら、採決しなかった土肥校長がなぜ「教育の自由と民主主義を守る」ことになるのですか。この映画は、土肥校長の部分については「有害」です。良心的と思われるマスコミ人が土肥校長を「都教委に反乱したたったひとりの校長」と称賛したり、「職員会で採決を行っていた」かのような解説をしています。こういう結果は予想できたはず。真実をないがしろにしたドキュメンタリー映画には何の価値もないどころかマイナスだと考えます。こんなことで東京の教育界にマサツを起こしてほしくない、そして全国に間違った発信をしてほしくないと思います。

出演者紹介は次の通り。いいことばかり書いてあります。
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【土肥信雄】(元三鷹高校校長)

 都教育委員会による学校現場への言論統制に、現職の校長として初めて公に異議
を唱えた。

「教育がどんどん右傾化している。言論の自由がなくなったときに、戦前の日本に
戻るのではないかという恐怖心があります。以前は不安でも言えなかったが、今言
わなければ、あの時の一点になっていなければ後悔する、その後悔だけはしたくな
かったんです」
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生徒に「正直の勧め」を説いている校長がこれでいいんでしょうかねえ?