10/24陳述しました―その2。  次回は12/3 です。

前回に続いて、きょうは陳述内容の前半をご紹介します。(時間の関係で簡単になっている部分は補足しました。)

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1 陳 述 書                                                                   原告  田畑 和子
           <通告>

 1996年1月29日、月曜日、この日私は中神校長から嘱託不採用の通告を受けました。理由は示されず、校長は「予想だにしなかった」「私も区に何故だと聞いた。」「長い間教育に携わって来られた田畑先生に頭の下がる思いです。」などと言って関与を否定しました。


< 都教委を提訴したが敗訴>

何かが私の知らないところで起きている。知らなければ‥‥と、私は都教委を提訴しました。すると、豊島区教委の成田指導室長が陳述書を提出、都教委へ不採用の内申をした、その判断は校長が提供した情報に基づいていると記述され、校長からの情報が沢山挙げてありました。それは、全部捏造でした。
私は膨大な文書と同僚・教え子の陳述書で虚偽を暴きました。しかし、裁判官はこれを無視し、 一枚の証拠も一人の証人も出せない被告を勝訴させました。

(高裁は、校長の捏造した理由の間違いを幾つも認め、修正しました。しかし、結果は変わりませんでした。丁寧に見てもらえば、結果は覆ったと思います。)

< 二次訴訟>

次の二次訴訟は、一次訴訟で曖昧だった事実認定を問うたもので、中神校長を被告としました。驚いたことに校長は「今、思い出しました。」と言って、一次訴訟の陳述や証言をドンドン変遷させました。
 例えば、前は「田畑教諭は校長が指導すると抵抗するので、全部教頭にやらせていた。」と証言していたのが、それを取り消して「すべて校長が指導に当たったが、田畑教諭は従わなかった」と変えたのです。私は千川中で管理職に指導されたことは一度もありませんから、どちらもウソなのですが、こういうややこしい変遷をしたのは、校長がどんなに私の指導に手を焼いていたか強調したかったのでしょう。{注①)

 この二次訴訟は、「校長は公権力の行使をしたのだから、たとえ虚偽陳述や偽証があっても、校長の責任を問うことはできない」という納得できない判決で、私が敗訴となりました。

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《コメント》
 「公務員なら偽証もウソ陳述もOKよ」とは何たる国でしょうか。公務員のやりたい放題のために犠牲になった者は我慢するしかないのはおかしい。世の中の道徳の乱れは裁判所が正しい判決を出さないことに起因していると思いませんか?

でも、もしかすると、これを使わねば私が勝つのでこうしたのかな、と考えることもあります。何しろ藤村啓裁判長は、第1回で何もしないで結審したのですから。

注①‥‥この箇所についての私の解釈が間違っていることに後で気付きました。校長は、私を直接指導したことにして、その場面を捏造し、セリフを散りばめ、田畑をこんなに指導したのにツベコベ言って従わなかったという創作をしたのです。捏造場面には、私が言ったことのない、校長に反発しているセリフが沢山書かれていました。本当に策士です。この手法で33ページの、ウソが溢れんばかりの陳述書を書き上げたのです。

◎この二次訴訟は、当方が争点にした中神情報の真偽は肩すかしされて、裁判所の判断が出ませんでした。ですから、「中神情報が真実である。」ということはできません。これはハッキリしています。今度の三次訴訟で勝利します。
  次回裁判 12月3日(月) 東京地裁 11時15分 615法廷  証人申請など
    地下鉄霞ヶ関駅A1出口出て右側すぐ  是非傍聴においで下さい。誰でも入れます。

                                では、今日はこれにて。