8/6結審の報告①ー最後の陳述をしました。

初めに私が10分の陳述をしました。長いですけどお読み下されば、嬉しいです。

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     2014年8月6日
  東京高等裁判所第5民事部 御中

陳 述 書
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結審に当たり最後の陳述を致します。聞いていただきたいことは限りなくあってそれが頭の中を駆け巡っておりますが、時間の制約がありますので、ごく絞って述べたいと思います。

Ⅰ 最終準備書面は、2人の代理人と私が長時間を掛けて、精魂込めて作成したものです。裁判所が弁論の機会を与えてくださったおかげで、原審のおかしさを一掃する最終準備書面を提出することができました。
中神元校長の陳述書から、私が名誉毀損として選んだ二件は、特に虚偽度が高く、胸を抉られるような苦しみを与えられた、そして確実な証拠があるものでした。
私は「学校要覧」という公的な文書と全く異なる記載を、原審の裁判官が「学年編成の際に被告中神が原告の同僚から聞いた内容を記載」「事実を淡々と記載し過度な誇張的表現は見られない」として「正当な訴訟活動である」と判断したことに大変なショックを受けました。「慇懃無礼」という言葉があるとおり、丁寧に言っても、あるいは丁寧に言うことが相手を極度に侮辱することが多々あります。原審の敗訴が、こういう杜撰な考えの基になされたのは納得できません。当審においてはこれを踏襲せず、証拠に先入観なく当たって下さるよう切にお願い致します。

Ⅱ 「涙を流して」あるいは「胃が痛くなった」と校長に訴えた教員はいたのか
 原審判決では先ほど挙げたように「中神校長は原告の同僚から聞いた内容を記載」としております。これが虚偽であることは、中神校長の義務として公費負担で発行した「学校要覧」という冊子を見れば一目瞭然であり、こういう間違いを裁判所がするとは思ってもみませんでした。しかし、こう判定された以上、私は学校要覧の教員名簿を、遡って克明に調べあげました。
校長の示した「私と過去に同学年であった教員」で「同学年になることを拒否した教員」に当てはまる者ががいるのかどうか、6年間、すなわち2周り遡ってみると、たった一人、A先生がこの条件に当てはまる事が分かりました。この方は男性で私と同年齢の教師です。しかも、都教組豊島支部千川中分会の職場委員として私同様、委員団の構成メンバーでした。「涙を流して」あるいは「胃が痛くなった」と校長に訴えたりするはずがありません。 
 校長は2名の教員を挙げているのですから、仮にA先生が校長に訴えた教師であったとしても、明らかに1名不足するのですから、校長の虚偽は明らかです。
「学年編成の話」は、まずここから始まり、同学年からは一緒になる教員がほとんどいないので他学年からかなり指導力のある教員を集めた、すると、他の学年の複数の教員から「あの学年だけ、なんで指導力の高い教員が多いのか」と苦情があった。校長が「何故だと思うか」と尋ねると、その内の全ての職員が「田畑さんがいるから、しょうがないですね」と答え、原告の所属する学年の大変さを複数の職員が認めていたことも事実である、というもので、「田畑さんがいるからしょうがない」がオチになっています。
 この話に校長がつけた題は、「学年所属を決定する際の他の職員の反応」というもので、自分は事実を客観的に書いているふりをして、実は教員の口を借りて私を叩きのめし、教員としてこれ以上ない侮辱を私に与えているのです。そして校長は、苦情を言う教員を抑えてやっと学年編成できたのだ。といかにも良い校長ぶっています。
 しかし、話の出発点である「涙」と「胃痛」の教員が不存在であることから全体が捏造であることは明白です。

Ⅲ 学校というところ
 敗戦で日本の教育は変わりました。戦前皇国史観を植え付けられた教師たちは、子ども達を戦争へ送り込みました。その反省の上に戦後の教育が始まり、民主主義社会の形成者を育成するする役目を担ったのです。
 私は、敗戦時、国民学校の4年生でした。国民学校3年生の時、学童疎開に行かされました。空襲の経験もしています。戦後、学校はがらりと変わり、子ども達の発言、討論が奨励されました。担任の代理のようだった級長は任命から選挙によって選ばれ学級委員という名称に変わりました。
 このようにして戦後の教育は始まったのですが、いざ自分が教師になってみるとその容易でないことに気付き、試行錯誤を重ねました。そんな中で一番重要なのは、教育は共同作業であるということです。
 中学校は専門教科制ですから教師個人では教育を進めることはできません。例えば体育の教師が男性の場合、女生徒への授業はできないし、家庭科の教師の場合は男子の生徒に授業することはできない。授業時間にしても、週に2時間しかない教科もあれば、私の教科国語のように週4,5時間ほとんど毎日のように同じクラスに赴く場合もあります。
 ここが小学校と決定的に違う点で、中学校では常に情報交換を行い 生徒の把握に努めています。そうでなければ中学校の教育は成り立ちません。
 そんな中で、誰かが誰かを執拗に追求するとか、それを涙を流して校長に訴えるとかはあり得ません。本当にそんなことを私がやっていたら、10年間も千川中にいられるわけがありません。まして、学年主任が担当することの多い生徒の学年委員会指導など任せてくれる筈はありません。
 原審審理中、元学年主任のKさんに「校長に学年のことを報告していたのかどうか」尋ねましたら「報告はしていない」と答えました。元学年主任はベテランですから、学年内のことをいちいち校長に報告しないのです。中神校長は「学校のことは何でも知っている」と豪語していましたが、でき得ぬ話です。
私については「何でも知っている」と称して、不良教師である理由を捏造し、二次訴訟になるとドンドン変遷、あるいは全く違った主張を記載し、こう証言しました。「‥‥時間をかけて思い出し自信の持てるものをまず選び出してその中から最低限のものを今回、自信を持って公表できるものをそこに書きました。」
 しかし、当方の代理人に矛盾を追及されると「記憶の手違いです。」と言って誤魔化しています。

Ⅳ中神校長が私を再雇用拒否とした狙いは
私は、中神校長が豊島区教委の成田指導室長と共謀して捏造理由を以て私を何故再雇用拒否したのかズーッと考えてきました。
 中神校長は不採用通告時、「何も分からない。推薦書に不利益なことは書いていない。都の決定です。」と言うのみでしたので、私が「都に問い合わせて下さい。」と頼んだところ、「校長は弱い立場なので都に聞くことはできません。中野富士見中の校長もクビになりました。」と言って拒否しました。
 中野富士見中は生徒がイジメによって自殺し、随分世間から騒がれた学校です。即座にこういう言葉が飛び出したので、私は、中神校長が、自分の行った生徒の自殺隠蔽を、ひどく気にしていることに気付きました。
やはり本当の事を知っている私が再雇用されて教育界に残ることを校長と成田室長は怖れ、阻止したかったと考える他ありません。

Ⅴ終わりに
 これは個人的な問題ではありません。教師に対するこのような仕打ちをこのままにしておくのは、教育界、子ども達のためにならない、と考えています。それは教師だった者の社会的責任だと思います。
 大好きだった教師という仕事を、捏造によって全否定され、それが回復できないことは、筆舌に表せない悲しみ、苦しみです。
 裁判所におかれましては、私の述べていることにウソがあるかどうか考えてほしい。私の人生の生殺与奪を握っているのは、ここにいらっしゃる3人の裁判官です。その職務の重大さに鑑み、これまでの裁判所によって着せられた「冤罪」を取り除いて下さるようお願いします。一寸の虫には一寸の魂があります。民主主義社会に恥じない判断を心から要望致します。
終わり