「南京大虐殺」を記録した東史郎さんが訴えられた裁判

今日は前回約束したとおり、私が傍聴支援した東史郎さんの裁判についてお伝えします。

東史郎さんは、兵士として南京を占領し、虐殺に関わりました。そして帰国する際、それを記した日記を密かに持ち帰りました。東さんは丹波にかえって暮らしていましたが、かなり経ってからその日記を求められるままに展示しました。それがきっかけで出版の話がもちあがり、日記が出版されました。
 ところが、これに書かれた将校達がそんな事実はないと言って名誉毀損の裁判を起こしたのです。彼らは、南京大虐殺は無かったことにする目的であったようです。
私が千川中学校在職中、文化祭で生徒がこの事件を調べ1枚の模造紙に纏めたことで、中神校長が指導教師を咎めるという事件が発生しました。私は、退職後、「ノーモア南京の会」に入り活動しました。そんな中で東さんの裁判に会が協力するようになり、現地へ調査に行った人もいます。
日記の中に「一人の中国人を郵便袋に入れ、蹴ったりした後火をつけ、揚子江に放り込んだ」という記述があり、やった者の名前が書いてある、その人達がそんなことをしていないと裁判で主張したので、支援の人達が現地でその通りにできるかどうかやってみたのです。同じような布の郵便袋を調達し同じようにやってみたら東さんの言うとおりにできた、つまり有力な証拠ができたのです。
私たちみんな喜ンだのですが、裁判は負けてしまいました。

これは裁判官のデタラメ判決です。「南京大虐殺」に関する裁判は幾つもありますが敗訴はこれだけ。裁判官のいい加減さがお分かりでしょう。この判決を出した裁判官の1人が、私の裁判で不当判決を出した人です。変な因縁です。デタラメ判決を出す人は、どこでもそうする。この人は、偉くなって仙台に異動して、酷い判決を出したと聞きました。
     余りいい話ではありませんが、これが現実です。これにて。