「松川事件」世界記憶遺産登録運動に賛成」!!

 本日の東京新聞に「松川事件」をユネスコの「世界記憶遺産」に登録しようという運動が始まろうとしているという記事が載った。この間、中国が「南京大虐殺」を登録したのを、日本政府がイチャモンをつけたあれである。
松川事件」の登録大賛成!!なぜ今まで取り組まなかったのだろう。私は寡聞にしてこういう制度を知らなかった。今回の「南京大虐殺」の騒ぎで初めて知ったのである。

松川事件とのつきあいは長い。私が就職した頃、この事件が大々的に報じられた。

1949年8月17日、青森発上野行きの列車が脱線、転覆し機関士ら3人が死亡した。警察・検察当局は国鉄東芝の両労組の活動家による計画的犯行とみて、組合員等20人を逮捕、起訴した。

私はノンポリ学生運動はせず、社会の動きに疎かった。計算してみると、この事件が起きたときは14歳、中学2年である。大人になってから、まともに社会のことを考え出したのかもしれない。

 実は、この事件に興味を持ったのは、卒業論文で取り上げた芥川龍之介の文学仲間だった廣津和郎に由来する。私は、若い頃の芥川が友人の菊池寛や廣津和郎らとしょっちゅう集まっていたので何となくその名前を記憶していたに過ぎなかったのだが、私が社会人になった頃に、ふたたびその名の人が私の前に現れ、今度は松川事件で逮捕された人は犯人ではない、と言い出したのだ。
 著名な作家であり、文章に説得力があり、無実であるという廣津の主張は、世の中に広まっていった。
  
 一審福島地裁は、5人を死刑、5人を無期懲役とするなど全員有罪。二審仙台高裁は死刑4人、13人は有罪、3人が無罪となった。

 裁判の進行する中、被告の無実の訴えは廣津等文化人の運動もあって、「無実の人を殺すな!」が社会にうねりとなって広がった。
 最高裁には、新証拠が出され、63年9月、全員無罪の判決が確定した。

1949年逮捕、63年9月まで何と長かったことだろう!私は、その間に中学を卒業し、高校で受験勉強して大学も卒業し、就職しているのだ。この方達の失われた歳月を考えると、胸が痛くなる。

松川事件」は、戦後最大の冤罪事件である。国鉄関係では、下山事件(迷宮入り)、三鷹事件(最近新証拠が出る。)があり、米軍が関係していると言われている。帝銀事件も、犯人とされた画伯は冤罪ではないかと言われている。戦後のどさくさで、キチンと審理されなかったのだろうか。進駐軍アメリカが関係したという本の出版もされた。

 日本人には、戦後の混沌とした時代を知る人は少なくなり、平和で自由な時代が元々あったかのような気分でいる人が多いように思う。それは無理もないことかもしれないが、今日の時代を築くために犠牲を強いられた方が大勢いたことを忘れてはならないと私は思う。
 元被告20人のうち、存命なのは数人だそうだが、可能ならお話しを是非お聞きしたいと思う。登録申請は2017年の予定という。待ち遠しいことだ。

松川事件」が世界記憶遺産に登録され、誰もがこれを知り記憶にとどめられることを期待しつつ。
                              これにて。