「南京大虐殺」と「福島原発」

 ご存じと思いますが、私の裁判は、中神嘉治校長が生徒が文化祭で作成した「南京大虐殺」の掲示物を否定した件を「名誉毀損」で訴えています。しかし、話がややこしいので、ブログには載せていませんが、そのうち、本を発行する際には、詳しく載せたいと思っています。

 この「南京大虐殺」について、最近レイバーネットテレビでも取り上げましたし、集会もありました。そこで私が初めて知ったのは、タイトルの通り、昔の出来事であったこの事件が、福島の原発設置にストレートに繋がっていたことです。
 労働者である小野賢二氏は、1988年から約7年間、歩兵第65連隊の元兵士達を中心に聞き取り調査を実施。調査は困難だったが、証言数約200、陣中日記等24冊、証言ビデオ、その他の資料を収集することができました。
 これだけでも、政府が主張する「南京大虐殺はなかった」が噴飯ものであることは明らかですが、私が皆様にお知らせしたいのは、そういうことではなく、集めた資料から、これに関わった軍医、木村守江の戦後の行動です。

 木村守江は帰国後、身を恥じるどころか政治の世界に入っていきます。この皇軍兵士は、民主主義の時代に国会議員に当選し議員生活を過ごし、その後福島県知事になるのです。彼は福島県双葉の出身で、行ったのが原発設置策を進めることでした。
 彼が県内の適地を職員に調査させたところ、「適地なし」という結果が出ました。これでは諦めるのが当然ですが、木村知事はそれを無視し、双葉を候補にしたようなのです。この辺りのことは県職員の証言はありますが、公開請求しても文書が出ないそうで調べようがありません。東電が共謀してとうとう原発が設置されてしまいました。
 私はこれを知ってから、「どうしてくれよう」という思いで気持ちが落ち着きません。「南京大虐殺」は、過去のものではなかった。上から目線で無理を押しつけ人間を殺して平気という残虐性は、現代に確実に受け継がれているのです。

 全国知事会の会長にまでなった権勢欲の強い木村氏は、汚職で逮捕されたそうですが、福島の惨状は延々と続き、政府は支援を弱めつつあります。

私には、「南京大虐殺」の被害者と3・11の被害者が重なって見えます。辛いことです、

今日は、これまでの中でいちばん重い内容になりました。        これにて。

(木村守江で検索するとレイバーネットの記事に行き当たります。)